事務所概要ABOUT
- 設立
- 1958年
- 代表弁護士
- 鈴木 道夫
- 構成
- 弁護士7名(2023年6月1日現在)
- 所在地
- 〒104-0061
東京都中央区銀座6-13-16 銀座ウォールビル9階 - URL
- ha-law.com
沿革

-
橋元四郎平法律事務所の創設
当事務所は、1958年(昭和33年)に故橋元四郎平(はしもと しろうへい)弁護士(最高裁判所司法研修所第6期)が創設しました。
橋元は、1954年(昭和29年)4月に弁護士登録(東京弁護士会)をして、銀座4丁目の交詢社のビルに事務所を構えていた「島野武法律事務所」に入所しました。
島野武氏は、1905年(明治38年)の生まれで、1930年(昭和5年)に高等文官試験司法科に合格し、1931年(昭和6年)から弁護士として活動していました。1950年(昭和25年)に東京弁護士会副会長を歴任した後、1955年(昭和30年)に仙台市長選挙に立候補しましたが、一旦は落選しました。しかし、1957年(昭和32年)、最高裁はこの選挙について選挙無効の判決を下し、1958年(昭和33年)のやり直し選挙において見事当選を果たし、仙台市長に就任しました。その後、島野氏は、7期目の在職中に亡くなるまで、7回連続の当選を果たし、「ほほえみの市長」と呼ばれて市民の圧倒的な支持を得ました。
橋元は、島野氏の仙台市長就任に伴い、事務所を承継する形で、1958年(昭和33年)に橋元四郎平法律事務所を創設しました。
-
橋元四郎平弁護士の経歴
橋元は、福島県田村郡三春町出身で、旧制田村中学、仙台の旧制第二高等学校を卒業後、東大法学部に入学しました。当初から弁護士を目指していたわけではなく、文学の道に強く惹かれており、文学と両立できるという理由から、法律学科ではなく、政治学科を選択しました。東大在学中は法律書をひもとくことはほとんどなかったと後に回想しています。戦時中の入学で、ほどなく学徒出陣となり、予備士官として終戦まで兵役に服しました。終戦後に東大に復学し、昭和23年に東大を卒業しました。その後、高校の講師などを経て、最高裁判所の事務官の職に就きましたが、法曹資格を取るべきであるとの周囲からの強い勧めもあって、司法の道に進むことを決意し、裁判所を依願退職して勉学を開始し、開始から僅か半年後、司法試験に合格しました。
弁護士登録は、前記のとおり、1954年(昭和29年)であり、それ以来、生粋の弁護士としてその能力を遺憾なく発揮しました。1974年(昭和49年)4月からは、最高裁判所司法研修所民事弁護教官として法曹養成に携わり、1978年(昭和53年)4月からは東京都地方労働委員会公益員(その後は会長代理)として労使紛争の解決にも尽力しました。1986年(昭和61年)4月には日本弁護士連合会事務総長に就任して、2年間日弁連の活動を取り仕切りました。そして、1990年(平成2年)1月、最高裁判所裁判官(第一小法廷)に就任し、弁護士出身の最高裁判事として最高裁をリードしました。
1990年(平成2年)2月施行の総選挙当時の定数配分規定の下における投票価値の不平等が憲法違反かどうか争われた1993年(平成5年)1月20日の大法廷判決では、「立法府としては、昭和61年度改正法による改正にあたっては、すべからく、長期にわたる違憲状態を踏まえ、近い将来1対3を超えるであろうことが十分予測できる状況にあったことに鑑み、一次的な弥縫策にとどめることなく、抜本的な定数の是正の措置を講ずる責務があったものといわなければならない。」として、違憲の反対意見を述べています。また、厚木基地騒音訴訟の1993年(平成5年)2月25日判決では、周辺住民の原告適格を認めた上で、一定の要件の下にいわゆる無名抗告訴訟を提起できるとする補足意見を述べています。
1993年(平成5年)4月、最高裁判事を定年退官した後、当事務所に復帰し、2009年(平成21年)8月1日に86歳で逝去するまで第一線で活躍しました。
-
歌人・こけし研究家として
橋元は、文化芸術をこよなく愛する第一級の文化人でもありました。前述のとおり、学生時代には文学の道を志していたことから、橋元は、法律以外の分野、とりわけ文学や芸術に対する造詣が深く、西脇順三郎、飯田義國、飯島光一、池田満寿夫などの文化人と交流がありました。また、オペラ、バレエ、歌舞伎などの舞台芸術に精通し、クラッシック音楽を愛好し、文化芸術に対して深い情熱を持っていました。
そのようなこともあり、著作権法の分野に関心が高く、著作権・著作隣接権に関する事件や業務を多く取り扱いました。特に、若いときから、実演家の著作権隣接権の確立に尽力し、現在の芸団協(公益社団法人日本芸能実演家団体協議会)の創立にも力を注ぎました。
また、橋元は、一流の歌人でもありました。旧制高校の学生時代から短歌の魅力にとりつかれ、歌作りを始め、最高裁退官後の1996年(平成8年)2月には歌集「三春」を、2008年(平成20年)9月には歌集「辛夷(こぶし)ひらく」を出版しました。
1998年(平成10年)には、宮中歌会始における「召人(めしうど)」にも選ばれ、天皇陛下に対し、歌を披露するという歌人としての最高の栄誉にも浴しました。
さらに、橋元は、こけしや張子など民芸品の収集家、研究家としても極めて著名でありました。「らっこコレクション図鑑」「三春人形」「こけしの旅」「ふくしまのこけし」などの著作も多く残しています。橋元が収集した多くの民芸品は、故郷の三春町に寄贈され、同町の「歴史民族博物館」や「三春郷土人形館」などで展示されています。
-
事務所の名称の変遷
橋元が最高裁判事に就任したことに伴い、木澤克之弁護士と藤原浩弁護士が「木澤・藤原法律事務所」として事務所を承継し、その後、橋元が事務所に復帰した後は「橋元・木澤・藤原法律事務所」と名称を改め、1997年(平成9年)からは、鈴木道夫弁護士が共同経営者に就任することに伴い、名称を「橋元綜合法律事務所」に改称して現在に至っています。